2025.02.26お知らせ
「シールは商品の“顔”」井久保社長が継承したプリコムの原点とは?|「社長に聞く」シリーズ①
プリコム会長である井久保栄光が、1981年に宮崎県清武町(現在は宮崎市)にラベル印刷会社として創業した株式会社プリコム。2019年9月、後継となる井久保大介が代表取締役社長に就任し、5年が経ちました。
プリコムの特徴は?また、会社としての強みはどこにあるのでしょうか。社内で井久保社長にインタビューしました。

四国の包材メーカーで特殊印刷の基礎を学ぶ
ーー 井久保社長!社長はいつプリコムに入社したのですか?
井久保:28歳の時だよ。福岡の大学に進学して、4年時の就活で某アパレルメーカーから内定をもらったんだけど、辞退したんだ。最初は四国の包材メーカーに入社したんだよね。
ーー え?なぜ、内定後のタイミングで進路を変更したのですか?
井久保:プリコム創業者で現会長の父が当時もこの会社を経営していたけれど、私に会社を継いでほしいとは一切言わなかった。でも、内定をもらった後の夏休みに宮崎に戻り、工場の手伝いをしながら思ったんだ。「自分はこの会社のおかげで大学まで出してもらったのに、この会社を誰も継がなくていいのだろうか」と。10歳も年の離れた弟(現在の専務)はいるけれど、まだまだ幼くて。
悩んだ末に「俺が会社を手伝うよ」と伝えたら、やはりほっとした様子だったよ。「10年は外で頑張ってこい」と言って、当時取引のあった四国の包材メーカーに私を頼んでくれてね。そこで私は印刷や営業の基本を学んだんだ。
四国の会社で修業して5年経った頃、父を社内で支えてくれていた叔父が亡くなって…。気落ちした父から「帰ってきてほしい」と言われたんだ。修業先の社長に相談し、業務を引き継いだ上で1年後に宮崎に戻ってプリコムに入社したんだよ。
ーー 6年間外で修業を積み、プリコムに入社したのですね。ちなみに創業者である会長はどちらで印刷を学んだのですか?
井久保:父は大阪で生まれ育ち、中学卒業と同時に特殊印刷で修業したんだ。15歳という若さで厳しい世界に入り、必死で技術を身につけたようだよ。その後、母方の実家が宮崎だったために宮崎に移住することになって。最初は宮崎の特殊印刷会社で働き、しばらくして独立。中古の印刷機を1台購入して一人でスタートしたんだ。
創業者の父から受け継いだ「品質の飽くなき探究心」
ーー プリコムのルーツは大阪だったんですね!社長も特殊印刷のスタートは四国の会社だったとは…!
井久保:父は大阪時代に培った高い技術と、「いかにきれいに仕上げるか」という品質への強いこだわりで、同業者から信頼を得ていったんだ。「井久保さんに頼めば品質がいいし、納期も守る」って。父の品質へのこだわりがあったからこそ会社は成長し、今のプリコムにも品質の高さが受け継がれているんだ。
ーー 社長は、会長からどのような言葉で伝えられてきたのですか?
井久保:「シールは商品の“顔”。シールが貼ってあるから商品がわかる。そして、シールは商品の“お化粧”。商品の魅力を伝え、お客様に喜んでもらえるものを作ろう」会長にはそんなことをよく言われていたよ。
そして、「作業着が汚れるのは下手な証拠」つまり腕のいい職人なら、白い服を着ていても汚れずに作業できるはず、と。段取りや作業場の整理整頓ができていなければ、いい仕事はできないよ、と諭(さと)していたんだね。
ーー まさに職人気質…!
井久保:そうだね。会長の職人気質やイズムが現在のプリコムにも受け継がれているよね。会長とは違って、私は印刷の技術より、お客様との関係づくりで力を発揮してきたつもりだよ。プリコムにとってのお客様は“メーカー様”と、その先の“消費者”の両方。付加価値をつけて喜んでもらおうという、その気持ちは今も変わらずずっと心にある。「誰かに必要とされているものを作っている」という自負をもって、常に仕事と向き合っているんだよ。
ーー なるほど!では次回は、社長が大切にしている「お客様との向き合い方」を聴かせてください。
***次回「社長に聞く」シリーズ②へつづく***